1854

19世紀前半、スイス北西部の小さな町、La Chaux-de-FondsとGrangesがスイス時計製造の中心地となる。当時、Grangesを拠点とするラシーヌ家は有名な時計製造者だった。

1914

創業者のAriste Racineは、苗字を逆さに綴ったブランド、「Enicar」を設立。以来、彼は高品質の時計製造に献身的に取り組む。特に彼が革新した懐中時計は読みやすく、第一次世界大戦中、欧州の兵士や鉄道の乗組員に最も愛された。

1930

Bienneに新工場を開設。これが大きな転機となり、Enicarの前衛的な時計製造の卓越性が発展する。欧州諸国に名が広まり、自動巻ウォータープルーフコレクションをマーケットにデビューさせ、成功を収める。

1931

1930年代後半~1950年代、大きな変化の時代を迎える。EnicarはSherpaシリーズを製作。Dive、Divette、Mini-diveは、腐食性の高い海水、高圧、急速な温度変化という極めて過酷な環境に耐久する設計を採用。

1946

パイオニアのビジョンを持って、Enicarの機械式時計は、マーケットのトレンドを休まずリードし続ける。1940年代、ブランドは新しい領域を探る目標を掲げ、成長を続ける。マーケットに初めて登場した初代クロノグラフモデルが、成功への大きな一歩となる。

1951

第二次世界大戦中、アメリカ空軍により指定された設計を取り入れたSherpaジェットウォッチで、さらに大きな一歩を踏み出す。戦後、Sherpaコレクションがアジア市場に参入。アジアの顧客に航空関連の複雑な計時技術、続いて登山の計時技術を提供する。Sherpaコレクションは今日でも最も卓越したモデルのひとつ。

1955

1950年代初期、Enicarは有名なNeuchâtel Observatory (C.O.S.C. (Contrôle Officiel Suisse des Chronomètres)の前身)から初めて精度認証を受ける。この認証は最高の精度と信頼性のシンボル。

1956

1956年、スイスの探検隊がエベレストとヒマラヤ山脈の登頂に成功。下山後、彼らが身につけていたEnicarのクロノメーターは世界の称賛を集めた。隊員のErnst Reissは、過酷な気象条件下でこの時計がすばらしい精度を発揮したと評価した。その間、防水UltrasonicダイバーズウォッチSea Pearlを発表。

1957

Enicar Ultrasonic Sherpaが、17世紀に活躍したメイフラワー号のレプリカ、メイフラワーII号かじに取付けられる。50日間に渡る大西洋の航海で、クロノメーターは波しぶきのかかる過酷な条件に曝されたにも拘わらず、すばらしい性能を発揮。メイフラワーII号の最高司令官であるAlan Villiers船長から称賛を得る。

1958

イギリス人F1チャンピオンのStiring Mossが、Enicar Ultrasonic Sherpa Chronometerを信頼できるタイムキーパーとして着用し、トライアルに臨む。Sherpaシリーズは、並外れた性能で人々を驚かせ、オーストラリア人のテニス世界チャンピオンのKen Rosewall、イギリス人モーターレースチャンピオンのGeoff Dukeから称賛を得る。

1960

中国人民解放軍の同志、雷鋒の記念館で、彼の日常生活を紹介する展示が行われ、Enicarの腕時計が展示される。

1962

英纳格以创新大胆的概念,打破一贯设计风范,创造了一个不受传统工艺束缚的腕表传奇。1962年,英纳格推出了全新Supertest系列腕表――由30颗宝石打造而成的机芯,在缔造典藏价值的同时,其简约设计更保证时间精准到秒。

1970

60年代後期から70年代にかけて、クォーツ・ムーブメントが世界に広まる。Enicarは、スイスの有名なCentre Eletronique Horlogerによって開発されたBeta 21ムーブメントを搭載したクォーツウォッチを発売し、Neuchâtel Observatoryで「The Watch of Precision」の称号を受ける。Sherpa Quartzが市場で堂々たるデビューを果たす。

1993

1993年、Sotheby’sがソビエトの宇宙関連品を集めた大規模なオークションを開催。Enicarのヴィンテージモデルがまず注目を集める。これらの品は、1950年代から60年代にかけて活躍した著名なロケット技術者、Sergey Korolyovによって収集されたもの。

1994

Enicarが、日本の広島で開催された第12回アジア大会の公式時計スポンサーに選ばれる。また1996年には、Enicarが第26回アトランタオリンピックの中国選手団向けの公式ギフトスポンサーとなる。

2007

有名なイギリス人アーティスト、Damien Hirstは、Enicarのダイヤルを目に使用した骸骨のオブジェを制作。後にこの作品は2007年に彼のコレクションの一つと認められた。

2009

Enicarの時計は、2012年にノーベル文学賞を受賞した作家、Mo Yanの小説『蛙鳴(あめい)』に登場。「叔母にEnicarの時計を贈った男はフランス空軍のパイロットだった......叔母とそのパイロットは実にお似合いだと誰もが思った。」(莫言2009年、第1章6節より。)

2014

Enicar is more than a familiar name, but also entwines a story about success and precision. Now, a centennial later, 2014 is Enicar’s glorious year and the brand celebrated its 100th anniversary dedicated to its long history and tradition in watchmaking.